昨日のブログにも書きましたが、
GWにボランティアに宮城県に行ってきました。
元々そんな性分でもない僕がなぜ行ったのか。
そこで何を見たのか。
ちゃんとしたレポートを書こう思ってるのですが、
どこから話したらいいか分からないので
時系列に沿ってお話します。
◆いきさつ
4月中旬、東京でも買い占めや節電の空気も少し薄れ、
テレビは普通にバラエティ番組を流している。
なんとなく復興に向かっている気がするが、
胸の奥のほうに、何か整理しきれない感情がある。
それが何かは分からない。。。
そんな時、先輩の@JUGZEALから連絡があったんです。
「GWなら少し時間がとれるからボランティアに行かへん?」って。
その時、「あっ!それだ!!」って思ったんです。
必要以上に悲惨なニュースを流すマスコミ。
それを整理されずに受け渡され、いつの間にか消えていってる。
だから訳の分からない感情に支配されているんだと・・・。
被災地の人に何かできないか、という感情が半分。
もう半分は自分がこの目で現状を見る必要がある。
ということが半分。
どこで何をするかなんてまったく考えてなく、
“現地に行く!”
これだけはハッキリと決めたんです。
◆準備
最初はレンタカーでも借りて車中泊して2人で行くつもりだったんです。
@JUGZEALが仕事仲間のU原さんにその話をした時、
U原さんが「一緒に行きたい!」と強く言ってくれたんです。
U原さんはワンボックスカーを持ってて、キャンプ用品もそろえてる人でした。
これは非常にありがたい!と思い3人で行くことにしました。
実行するにあたっての打ち合わせは1回だけ。出発の3日前です。
どこに行くか?
何が必要か?
を、その打ち合わせで決め、事前準備の作業分担をしました。
まず行く場所はネットで探しました。
それぞれ仕事の予定があるので、移動時間も含め活動期間は5月3、4、5日の3日間で予定を組みました。
メディアがたくさん入っている石巻、気仙沼、南三陸、釜石、宮古などは、きっと人も多いだろう。。。
とはいえ、東京から遠い場所ほど人が少ないからそこに行こうと思ったんですが移動に時間がかかってしまって作業できなかったら意味がない。
しかもGW中は受け入れを規制している自治体がほとんどです。
そんなことを考慮して、岩沼(宮城県)に決めました。
ニュースでも流れた仙台空港のすぐ近くです。
岩沼市災害ボランティアセンターのブログは情報発信もしっかりしてて行きやすそうな印象でした。
持っていく装備もここのサイトを見て準備しました。
⇒岩沼市災害ボランティアセンター概要説明
◆出発前日
長靴や作業用のつなぎを購入。
ボランティアに参加するには、「ボランティア保険」に入る必要があったので近所の社会福祉協議会に申請しに行きました。
個々で申請する必要はなく、まとめて申請できたので3人分の申請を一括してできました。
費用は一人1400円。全員の名前、住所、電話番号を書くだけの簡単な申請だったので5分で登録できました。
現地はさすがに食料はあるでしょうけど、何か現地の人にお土産を持って行きたいと思い、近所の和菓子屋で最中70個を購入。
甘いものは幸せな気分にさせてくれます。
5月3日は渋滞を考慮して、早朝出発で一日移動に使う予定でしたが、ニュースを見てるとかなりのボランティア渋滞が予想されるとのこと。
そこで予定を早め、夜中の1時に東京を出発しました。
◆車での移動
東北道を北上し交代で運転。
うっすらと夜が明ける朝の4時頃。地図を見ると福島第一原発の真西あたりです。
走れども走れどもあたり一面の田園風景。
このあたりの野菜は放射能の影響で出荷規制や風評被害があると思うと胸が痛みます。
たまに屋根瓦にビニールシートがかかっている家を見かけました。
多大な地震の影響を受けたことが想像できます。
夜中の東北道は日中並みの交通量でしたが、予想に反してまったく渋滞してませんでした。
夜中だから空いてた?それともメディアの報道が間違っている??
そして朝6時半に岩沼市のボランティアセンターに到着。
移動に一日使う予定が早々と着いたので、早速作業着に着替え7時にはボランティアの列に並ぶことに。
◆ボランティア登録
ボランティアの受付開始は8時から。
まだ一時間もあるのに500人ほど並んでいました。
前日、岩沼市のボランティアセンター電話していたのですが、GW前半では7時から並んだ人の中で、作業が割りふれず帰っていただいた人もいるといことを聞いてました。
さすがにGWはボランティアが急増するので準備や、被災者からの要望聞き出しが万端ではなかったのでしょう。
とはいえせっかく来たのでそのまま並ぶことにしました。
8時を過ぎても一向に列は進みません。
そして係員の方から、「午前の部と午後の部に分ける。」
とアナウンスがあったんです。
???
所詮、気持ち一つで来ているので、作業にあたれるかあたれないかは重要ではないです。
けど、せっかく来てるのに半日無駄にするのはもったいない。。。
避難所に直接行って「何か手伝うことないですか?」って聞いた方が早いと思いつつもボランティア詐欺なんてのもあるぐらいです。
いきなり行っても信頼してもらえない。。。
どこか違う所で人手を欲している場所があるんじゃないのか??
僕はiPadを持っていってました。
そこで列に並びながらtwitterで、ボランティアを募集している人を探すことにしました。
twitterはリアルタイムの情報が流れてきます。
ほとんどの自治体はGW中の新規ボランティアの受け入れは中止しています。
けど人手が欲しい人はきっといるはずです。
twitterの検索で、「ボランティア」「石巻」「気仙沼」・・・。
そんなキーワードでいろいろ検索しました。
そうするとわずかですが、情報がでてきました。
まず見つけたのが気仙沼で活動している『はまセン』という団体です。 (ツイッターアカウント:@hamacen)
ボランティアセンターがGW中の募集を打ち切っているのに、ここは当日にもかかわらず200人募集してました。
けど気仙沼はさすがに遠い。。。
石巻なら岩沼から1時間ちょっとで行けそうなので石巻を中心にTwitter検索を続けました。
そこで@daimuraという方のつぶやきに出くわしたんです。
石巻鹿妻地区。石巻はまだまだ解決しない。人不足。行政や団体はボランティアいっぱいですと言うと思いますが、是非興味ある方ご連絡下さい。なんぼでもやることあります。現地滞在も手配しますので!
このツブヤキに返信したのですが、すぐには反応は返ってきませんでした。
きっと作業に忙しくて気付いてないのでしょう。
ということでしばらく返信を待つことに・・・。
そうこうしてるうちに列が進んでいきました。
作業場はボランティアセンターから遠く、車で移動する必要があったので送迎用のバスがでています。
僕らは車で来ていたのでバス待ちをする必要がなく優先的に作業にあたれました。
ボランティア登録は一人一人登録用紙に、名前、住所、電話番号を書き、簡単な説明を受けます。
安全の為に必要な作業とは思いますが、それでも3、4分はかかります。
慣れない人数を捌き切れず、運営がもたついている。
これが原因で行列をつくっていたんでしょう。
ボランティアセンターの人も頑張ってるとはいえ受付するのに行列ができるなんて残念です。
はやくにそれを知ってれば運営に慣れている僕らが手伝ったのに。。。
受付開始から2時間半。10時半にやっと僕らの受付は完了しました。
列を振り返ると最初と変わらず多くの人が行列を作っていました。
いったい何時に全員の受付が終了したかは分かりませんが、この日は参加者897名全員がなんとか作業にあたれたそうです。
⇒岩沼市災害ボランティアセンター 5/3の記事
◆ボランティア作業
作業場はボランティアセンターから車で約10分の場所です。
海岸線に近づいていくわけですが、津波は大丈夫な場所とそうでない場所がくっきり分かれていました。
高速道路などがあるとそこが防波堤の役目をして水をせき止めていたんでしょう。
ただ、田んぼは水を入れる為、建物より一段低い場所にあります。
その為、住居は大丈夫でも広大な田園地帯の被害は甚大です。
ちなみにボランティアした所では1mほど津波がきたそうです。
たった1m?
いえいえ、田園地帯の1mって高低差がないので見渡すかぎりの田んぼが塩害を受けたことになります。
田んぼは潮水に浸かり、ヘドロが入ってきてます。
この状態になると最低3年は田んぼが使えないそうです。
それが岩沼の場合は沿岸部から2、3km。
津波の被害が南北500kmと言われています。
東京ー大阪間ぐらいの距離です。
そんな広大な距離と面積が塩害にあっているんです。
肝心のボランティア作業は、ある農家さんのビニールハウスに入ったヘドロの除去作業でした。
数年間は稲作ができないので、せめてビニールハウス栽培だけは早急に復活したいのでしょう。
20人がかりの作業でしたが、それでも4時間ほどかかりました。
表面に3cmほどの土砂。
その下に10cmほどのヘドロがたまってます。
それをスコップで掘り、一輪車で運び、トラックで廃棄場に持ってきていきます。
土砂を除去したからといってすぐ栽培ができるわけではありません。
石灰を巻き土壌を中和し、ちゃんと野菜が植えられるまではまだまだ時間がかかることでしょう。
僕らが手伝ったのは、たった一軒の農家さんですが、こんな方はたくさんいらっしゃるはずです。
地味な手伝いですが1人でやるには気の遠くなる作業。
実家が農家の僕にとってはホントに心苦しい状況です。
◆ボランティアの後
作業後は現地解散でした。
車で現地まで行っていたので僕らはそのまま海岸線を見に行くことにしました。
徐々に海岸に近づくにつれ、
田んぼに散らばる瓦礫の量が増えていきます。
そして沿岸の住宅地帯に差し掛かった時、
今までみたものとはまったく別の光景が広がっていました。
街が崩壊してるんです。
ここまではテレビで見たようなショッキングな街並みには出くわしませんでした。
けど、海岸線から1kmの街は。。。
どこにでもある田舎の街並み。
それが破壊されている。。。
送信者 岩沼市/宮城県 震災後 5月3日の状況 |
Googleストリートビューと見比べるとその痛みをさらに感じます。
そして海岸線に到着。
先人が地元民の安全を想って建設したはずの津波対策の防波堤とテトラポットがありました。
その防波堤が。。。
テトラポットは原形を保ってましたが防波堤が決壊してる。
コンクリートの塊がめくれ上がっている。
送信者 岩沼市/宮城県 震災後 5月3日の状況 |
木々が波のチカラで根元から掘り起こされている。
送信者 岩沼市/宮城県 震災後 5月3日の状況 |
あり得ない光景は、あり得ない被害をもたらし、
何百kmにわたり、数え切れない人々の生活に影響を与えている。
僕が見たのは、そのたった一部分。
この被害が「がんばろう東北」の一言で解決されるわけがない!
頑張るのはいったい誰か?
他人事で終わるのか?
この気持ちを押入れにしまうのか?
メディアが入っていない街はどうなっているのか?
津波に加え放射能の被害がある街はどうなのか?
単純に悲観するつもりはなく、
現状をちゃんと理解した上で、
笑って元気にやっていきたいもんです。
◆翌日にむけて
一通り岩沼の被害状況を見た後、明日はどうするかを3人で相談していると、twitterに返信していた@daimuraさんから連絡がきました。
電話番号を伝え、状況を話し、翌日は石巻での受け入れが決まりました。
石巻のボランティアセンターはGW中の新規の受け入れを中止していましたが、@daimuraさんから紹介していただいた所はネットの全国ボランティアセンターには掲載されていないおらず、どんな人がやっているかも分からない団体でしたが常時ボランティアを募集しているとのこと。
不明なことは多々ありましたが、「石巻にある湊小学校にいる金田さんを訪ねて下さい。」という言葉だけを頼りに石巻に向かいました。
だってせっかく宮城まで来たんです。
やるならやるで全力で手伝いをしたいじゃないですか。
石巻に向かう海岸線の仙台東部有料道路から見る景色は、
延々と瓦礫の山が続いていました・・・。
追記
⇒岩沼ボランティアレポート(5月3日の全記録)
⇒石巻ボランティアレポート(5月4日の全記録)
⇒GW中の石巻・岩沼の現状(地図と写真掲載)
⇒GWのあとがき
⇒12月に釜石にいって思ったこと
4 Comments