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石巻ボランティアレポート(5月4日の全記録)


昨日のブログの続きです。

5月3日は岩沼でボランティアに参加していたのですが、
GWということで人が岩沼では人が余っていたので、翌5月4日は石巻に行くことにしました。

Twitterで情報を発信していた、@daimuraさんに石巻のボランティア受け入れ先を紹介してもらい、石巻に行きました。

 

◆ボランティア基地への到着

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

石巻市立湊小学校に到着しました。
ここは避難所になっており、自衛隊の車両も数台ありました。
まずは金田さんという女性を訪ねてくれと言われていたのでその方を探すことに。
テントは一つだけだったので、すぐに見つかりました。
けどお忙しそうなので他のスタッフの方にいろいろお話を伺いました。

  • この団体は、ここではチーム神戸と呼ばれ、『すたあと長田』という阪神・淡路大震災の時に金田真須美さんが立ち上げられた団体だということ。
  • 一般的に目にするボランティアセンターと呼ばれる団体は、地域の社会福祉協議会が運営しているということ。
  • チーム神戸(すたあと長田)はボランティアセンターとは関係なく、独自で活動しているということ。
  • チーム神戸は被災者と一緒に寝泊まりして、すぐに要望を聞ける関係性をつくり活動しているということ。
  • ここは常に人を募集しており、やることは山ほどあるということ。

話を聞いていると、チーム神戸のスタイルが、ボランティアとしての正しい姿だと感じました。
自治体ごとにあるボランティアセンターも大事でしょうが、
被災者の生の声を聞き出し、ボランティアのイロハを知っている団体だと思いました。

ちなみにこの『すたあと長田』。
サイトを見てもNPOの文字が無いんですね。
僕の勝手な推測ですが、
『人が人を助けをするのにそんな看板はいらない!
だから、ただのボランティア団体で十分やねん。』

そんな理念を感じました。考えすぎですかね??
⇒すたあと長田のホームページ 
⇒チーム神戸 石巻での活動報告ブログ 

 

◆石巻の様子
はじめての石巻に行ったんですが、とても大きな地方都市です。
宮城県第二の人口を擁する市。
全国でも有数の水産都市。
観光業も盛んな街。

そんな街に津波が来たんです。
行ったことがなくても、少しは想像できますよね。。。

高速をおり、しばらく車を走らせ、石巻の商店街にさしかかると、
すぐに津波の爪あとを感じました。
地面は歪み、建物の壁は土砂で汚れ、お店のシャッターはほとんど閉まっています。

石巻の海岸は南に面しています。
20m以上の高波が来た女川の隣町です。
地形の違いもあり、石巻は女川ほど高波は来ていません。
それでも尋常じゃなく津波の被害をうけています。

しかも街の中央には旧北上川という河が流れています。
その河が氾濫するとどうなるか。。。
流れてきた瓦礫が川沿いの家屋を壊し、
河の堤防を越えた水は道路に氾濫し、
道路は水の流れる新たな道となり、
水に押し流された瓦礫が道路沿いの家屋をなぎ倒します。
道路沿いではない家は原型を保っていたりしていますが、
数mの水に浸かり、家中ヘドロまみれです。

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、
いくら言葉で説明しても、写真や映像で説明しても、
うまく伝えられる自信はありません。

津波で被害を受けた人の悲しみに大小はありませんが、
それでも岩沼の被害の規模より大きく感じます。
きっとそれは、そこに住んでいる人の数、建物の多さ、街の規模。
が、そう思わせるのでしょう。

安全な場所からテレビを見て、「あ~コワいよね。」と他人事のように見るのではなく、
youtubeの640×390ピクセルで知ったかぶりになるのでもなく、
現実に自分の目で見る。

そこから感じることは一つ一つがまったく新しいものです。
石巻に来て早々現実とは思えない悲惨な状況を目の当たりにしました。

3月11日から二ヶ月以上たった今でも、街は瓦礫だらけです。
震災直後は道路上にも瓦礫が溢れ、車も通れなかったことでしょう。
インフラとしてもっとも重要な道路の瓦礫だけはこの二ヶ月で何とか撤去した。
けど今でも道路は頻繁に冠水し、道路脇の家は手付かずのまま放置されています。

東京から比較的近く、メディア出入りしている石巻でもこの状況です。
さらに北にある街は、どんな日々をおくっていることでしょう。

すべての瓦礫を撤去しなければ復興は始まりません。
けど撤去だけでも一年以上かかるでしょう。
自治体が対応できる量を遥かに超えてます。
地元の人達は自分たちで何とかしようとされていますが、圧倒的に人手が足りません。

 

◆ボランティア開始
集合は朝の8時半。
早めに到着したのですが、すでにチーム神戸の方は活動していました。
岩沼と同様に、登録用紙に氏名、住所、電話番号を記入。
その日は100人ほどのボランティアが参加したそうですが、待ち時間もなく8時半にはすでに仕事を割り振り始めていました。

10人ほどのチームになり、徒歩で10分ほどの作業場所への移動です。
ボランティア基地の湊小学校自体も津波の被害を受けています。
なので徒歩圏内でもやることは山ほどありそうです。

その日の作業内容は、道路に山積みされた土砂を土嚢袋に詰め込み、
路肩に積んでいく作業でした。

すでに土砂が山積みされていた。というのがポイントなんですが、
この作業は近所の人たちが自分らでやったそうです。
自分の家も浸水していて大変なのに、周辺の道路に散らばる土砂まで集めたそうです。
そりゃあ公道だからって自治体に任せてしまったら、時間がかかりすぎて、
いつまで経っても街はキレイになりません。

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

僕らが手伝ったのはそれをたった一日手伝っただけです。
70歳すぎのおっちゃんが途中まで一人でやっていたことにも驚きましたが、
僕らが手伝って、ちょっとだけ手間が省けたのなら幸いです。

その方は作業しながらいろいろな話してくれました。

  • 津波の時、2階に逃げて助かったものの、飲み物は倒れた冷蔵庫に入っていた牛乳だけ。それを3日間家族でわけあって過ごした事。
  • 避難所では飲み水がなく、クチの中に霧吹きで水を吹きかけ、水分補給している人がいた話。
  • 浸水により出た瓦礫は一軒あたりトラック4、5台分にもなったという話。
  • おっちゃんの家は瓦礫の接触による家屋の崩壊はなかったものの、浸水の被害があるので家を壊すことに決めたという話。
  • 2、3日前にも近所の瓦礫の山から遺体が見つかったという話。
  • 港にある会社の被害が甚大で、泣く泣く従業員を解雇したという話。
  • お金にならない会社の倉庫の片付けを毎日延々とやっているという話。
  • 電気や水道は来てるけどガスはまだ来ていないという話。
  • 車が流されたので、山あいに住んでいる親戚が車を持ってきてくれたという話。


悲壮感はまったくなく、元気に話を聞かせてくれました。
忘れ去られず人が来てくれることが嬉しかったんだと思います。
そして単純にとんでもないことが起きたことを誰かに伝えたかったんだと思います。

 

◆避難所について
石巻市立湊小学校は、ボランティア団体、チーム神戸の基地であり避難所でもあります。
4階建ての建物の中には400人以上の人がいるそうです。

3mは浸水したのでしょうか?
1Fの天井にまで土砂の汚れがついてました。

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

廊下から教室の中を少しだけ覗いてみました。
電気を付けてない教室は薄暗く、所狭しと布団が並んでいました。
子供たちは外で遊んでいましたが、教室の中にいる高齢者はあまり元気がなかったように見えました。

 

◆テント村とその周辺
石巻専修大学が、石巻でのボランティアの宿泊場所として開放されていました。

川沿いではありますが、この辺りまでくると津波の被害はあまり感じられませんでした。
GW中ということもあり、テントは300張りほどありました。
トイレは完備され、水もあります。
ボランティアの支援をする炊き出しのボランティアが来ていたりもしていました。

周辺のバイパスは、地震による道路の凹凸はあるものの、
普通に車が行き交っています。

大道路沿いの食べ物屋やコンビニなども津波の被害は受けたようですが、
この二ヶ月でだいぶ再開し、半分ぐらいでしょうか?普通に営業していました。

5分も車を走らせると、近所に銭湯があるという話も聞きました。

石巻は比較的ボランティアが活動しやすい場所です。

昨日のブログにも書きましたが、
津波はアウトとセーフのラインがはっきりしています。
同じ街でも被害を受けていない場所の経済活動を停滞させてしまうことが、
いかに怖いことか。

この街ではそんな印象を受けました。

 

◆瓦礫の街
youtubeで何度も見た、津波により街が崩壊していく映像。
そんな地区が石巻にもありました。

見渡す限りの瓦礫。
残っているのは学校か病院ぐらいです。

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

ストリートビューと見比べるとその違いに唖然とし、
多く語る言葉を僕は持っていません。

大きな地図で見る

僕らが通ったこの道の横に、あと何名の命が眠っていることでしょう。。。

写真の奥に見える高台。
ここに多くの方が階段を駆け上り逃げてきたそうです。
その高台から見下ろした写真がこれ↓です。

送信者 石巻市/宮城県 震災後 5月4、5日の状況

 

◆最後に
被害にあっていない僕達が、経済活動を停滞させないことも重要ですが、
目に見えない何かに怯えのではなく、自分の目で現状を見据え、
今後、元気を出して復興の手伝いをしていきたいです。

⇒石巻市(宮城)の現状を地図で見る

 


grassfeel

grassfeel

WEB制作とかマーケティングやったり、プランニングやったりしてる琵琶湖県生まれ。

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